光化門エリア
イムジンウェラン(文禄・慶長の役)で、秀吉軍(小西行長・加藤清正・黒田長政ら)が釜山からソウル(当時の名称はハニャン)まで、わずか20日あまりで来たというのは本当に凄いことですね。秀吉軍が強かったのか、朝鮮軍が弱かったのか・・・そしてキョンボックンなどはその時に焼かれました。その秀吉軍を半島の南側の海で破った武将がイスンシン(李舜臣)です。韓国では英雄扱い。像は日本を睨んで立っていると言われます。

イスンシン像。彼の号がチュンム(忠武)なのはご存知ですか?忠武路の由来です。

像ばかりに目が行きがちですが、その下には亀甲船があるんですよ。(へぇ~!)

復元中と言いつつ工事中断中のプレハブ。

遠くから見てモザイクになっている部分は、陶磁器でした!

実際のクァンウァムンを真似て、ちゃんと門は3つ用意されています。

真ん中の門には、小学生が作ったと思われるタイルがぎっしり埋め込まれてました。

天気が良い日は、このように一番奥にプッカンサンが見えます♪
現政権ではなくてノムたんの時に、特段大きな理由があって復元を始めたわけではなくて、私に言わせれば「気分」で復元している気がしないでもないのですが、そんな時にスンネムンが焼失してしまって・・・。現在、復元調査中に正真正銘、昔位置していた痕跡していた場所が見つかり、微妙に現在の計画の位置とずれているので、どっちを基準にして建てるかを、もめて(ではなくて)議論しているそうです。このクニでは良くあることです。
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